御菓子司 本家菊屋【開店準備中】

御菓子司 本家菊屋の歴史

弊店祖 菊屋治兵衛(きくやじへい)が豊臣秀吉公の弟君 豊臣秀長公連れられ
大和の国に参りましたのが天正十三年(1585年)でございます。

秀吉公をもてなすお茶会に何か珍菓を作るように命ぜられ献上いたしましたのが、粒餡を餅で包み、きな粉をまぶしました1口サイズの餅菓子でした。

秀吉公は大層お気に召され「鶯餅」と御銘を賜りました。(砂糖が貴重な時代のことですので、一説には全国に点在します鶯餅の原型だという説がございます)

時が経ちいつの頃からか、弊店が御城の大門を出て町人街の1軒目に位置しますことから、「城の入口で売っている餅」 → 「城之口餅(しろのくちもち)」
という通称が付けられ、今日に至ります。

私で26代目となります。

秀吉公の時代の千利休さんから数えてお茶のお家元が15~16代目ですので、弊店は何処かの地でまだ10代程さかのぼれるかと思います。
1代が25~30年としまして、まだ250~300年さかのぼれます。
ひょっとしたら弊店は700年の歴史があるかもしれません。

創業天正十三年(西暦1585年) 400年以上続く、奈良で一番古い老舗菓子店です。 代々、郡山城の御用を勤めて参りました御用達商人の御菓子司です。

  • 江戸時代の畿内の産物を紹介した本(文化10年/西暦1813年)に果物の柿と一緒に「奈良名物」として御城之口餅(おしろのくちもち)が紹介されております。江戸時代から既に奈良名物だったのですね。本店の建物は江戸末期のもので、江戸時代の商家の造りが現役で稼働しております。(毎日、柱や板そして大戸を手で開け閉めします。シャッターで自動開閉ではありません)

    素材は国産のものだけを厳選し、丹波大納言小豆の大粒で最高級小豆を使用しております。
    餡を炊く釜は、今ではほとんど見かけない蒸気で一気に炊き上げられる丈夫な砲金の大釜を使用しており火力があるので炊き上げる時間が短く、仕上がりの良い餡に。また国産青大豆を使ったきな粉と近江産の羽二重餅米を使用し、餅米から餅をついて作るというこだわりがございます。
    餡、餅、きな粉がとにかく美味しい「そうそう、こんなのもあってもいいよね! こんなのが欲しかった1」という小さいですが贅沢な逸品です。

  • お殿様に書いて頂いた軸「一口残」

    弊店に伝わる横3文字の軸(茶室の小間に掛けるのにちょうど良いサイズ)がございます。
    そこには「一口残」とあり、添え書きに「求めに応じて書く」とございます。
    今は軸荘してありますが、ずっと額に入り仏間に飾ってあったもので、ずいぶんと年数の経過した色になっております。
    どなたの書いたものかも分からず、ガラスもはめずに掛けてありましたのですが、先代が気付き軸にさせていただいたものです。
    これは大名茶人で有名な柳澤堯山(やなぎさわぎょうざん)公の書でございます。
    先祖があつかましくもお殿様に菓子を納めた際にお願いして書いていただいたものです。
    意味合いは「お菓子が美味しかったから、後でまた食べる為に一口分だけ残しておこう」というものです。
    堯山公のお人柄と、お殿様と先祖との間柄が想像できますよね。

商品

店舗概要